私はこうして広告漫画家になった。驚きの経緯を今セキララに語る。

私の脳みそはマンガでできていた

 

きむら

はじめまして!

今回は私のプロフィールをご紹介いたします。

6歳で決めた将来の夢

小学一年生、マンガに出会い、そこから夢はずっと漫画家になることでした。

初めて読んだのがコレ。

 

うわっ!昭和!

助手のぴよこ

きむら

そこからどんどんマンガ沼にハマっていきます。

世の中にこんな面白いものがあったのかと。

たぶん、脳みその中身はマンガの事だけでしたね。

オタク道まっしぐら

きむら

とにかく家でも学校でも時間があれば大学ノートや落書き帳にマンガを描いていたっけ。

中学生になると友達にも読んでもらってたな。

高校に入ると、さらにマンガ熱は加速。

もう漫画家以外の道は考えられなかった。

高校卒業したら、東京に行きたいと本気で考えてたよ。

高校の最後の二者面談でも、

先生に「私はアルバイトしながら漫画家になりたいです」って言いました。

へえ、先生なんていったの?

助手のぴよこ

きむら

自分に自信を持ち続けろって。
自信があれば、実力以上のチカラが出ることがあるからって。

すごい応援してもらえた。

ママンに許された時間は3年。

母は私の漫画家になりたいという気持ちは理解してくれたけど、「ほかに好きなことがないからやろ。」みたいな感じで好きにさせてくれていた、という感じでした。

母には「またマンガ描いてんのか!」という言葉をずっと言われてましたね。

自分は創作漫画に向いていないことに気づく

…で、芽が出なかったんだね。

助手のぴよこ

きむら

でなかったね…ていうか、あきらめちゃったんだね。

他に楽しいこともたくさん出てきて、描けなくなった。

広告の面白さに出会った20代

 

きむら

この時から、広告に関する仕事が楽しいと感じ始めます。

パネルを書く作業がとにかく楽しかった。

仕事でこんな楽しくていいのかなと。

きむら

チームで取り組んだ売り場を作る全国コンテストで入賞して、社長からラーメン1年分もらいました(笑)

うれしかったなあ。

売り場づくりはとても楽しい作業でした。

なにもかもがうまくいかないと感じた子育て

きむら

そして、出産、結婚。

初めての子育てはボロボロでしたね。

子どもは寝ないし、寝不足でボロボロ、アレルギーやアトピーもあったんだけど今とは違って、治療法も何が正しいかわからない時代だったこともあって、迷走していました。

そのうまくいかない自分を笑ってもらおうと、ひたすら育児マンガを描いてました。

そして、児童館に持って行って、掲示板に貼ってもらってました。

知らないママに、マンガ見たよ!めっちゃ面白かった!って声かけてもらうことが増えて、発信することの面白さを見つけました。

きむら

小さい子どもはネタの宝庫でした。
まだSNSもなかったからね。

助手のぴよこ

きむら

偶然保健所で配布されていたアレルギーっ子育ての

ニュースレターを見つけて、制作をされている代表の方に

自分のイラストを使っていただけないかお願いをしました。

何年かはずっとボランティアとしてやっていましたが、NPOとして団体が大きくなったことから、だんだんお仕事としてマンガやイラストを描かせてもらえるようになりました。

きむら

もう連載して6年以上になります。

そのアレルギーっ子育てマンガがおもしろいと、子どもの主治医からクリニックの広告漫画を描かないかと声をかけてもらいました。

きむら

体験マンガや広告漫画を描かせてもらえるのが

本当にうれしかったです。

きむら

そのご縁から、京都新聞や福井新聞のコラムのイラストカット連載や、京都世界遺産の下鴨神社の「ランドセル祈願」のポスターイラストというお仕事などを頂けるようになりました。

 

きむら

今はいろんな企画もしています。
あなたの人生をマンガにする、世界で一つだけの「マイ・ストーリー」!

広告漫画は、

たくさんの情報を詰め込める!

わかりやすく情報を

届ける事ができる!

興味がない内容でも

漫画だとつい読んでしまう!

漫画のチカラは

とても奥が深いです。

大変だった子育てから、開けた道だったんだね。

助手ぴよこ

きむら

あのときの自分がなければ、今の自分はないと断言

できるね。

そう考えると感謝しかないよ。

 

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